平和が何より

未分類

1945年8月15日は何の日でしょうか。

日本の終戦の日です。

正午からラジオで放送された玉音放送により、前日に決まったポツダム宣言受託及び日本の降伏が発表されました。
1941年に日本の真珠湾攻撃がきっかけで始まった太平洋戦争ですが、1945年にアメリカと連合国軍が日本の南西諸島に上陸しました。
太平洋戦争末期に唯一日本で行われた地上戦が沖縄線です。
アメリカは沖縄を軍事的な拠点にするため、日本軍の海上や空域での通信を阻止したり、本土戦になったときの補給の拠点にするといった目的があったそうです。
日本は本土侵略までできるだけ時間を長くすることでした。
日本軍はアメリカと徹底的に戦わなければなりませんでした。
沖縄戦をしているうちに日本は本土で戦う準備を整え、アメリカを迎え撃つという流れでした。
沖縄に本格的にアメリカ軍が上陸してきたのは1945年3月下旬ですが、その前から沖縄はアメリカから攻撃を受けていました。

1944年10月10日にアメリカ軍による大規模な空襲がありました。
空母からのべ1356機の航空機が出動し沖縄全体を爆撃しました。
この爆撃により日本軍の軍事施設は徹底的に破壊されました。
那覇は壊滅的な打撃を受けました。
日本軍は空爆に対し無防備で、台湾から運んできたばかりの食料が焼かれ、県民1か月ぶんの食料が灰になりました。
沖縄を守備する第32軍司令官の牛島満中将は、再三兵力増強を要請しましたがかないませんでした。
不足する兵力を補うために、17歳から45歳までの男子を根こそぎ動員します。
実際はもっと若い人や60歳、70歳の人も動員されたそうです。

4月19日に首里城への総攻撃が始まります。
日本軍は東西に延びる丘陵地帯を利用し、アメリカ軍の攻撃を待ち伏せしました。
住民は軍隊と共に行動する方が安全だと思い、軍と共に行動しました。
突入してくるアメリカ軍戦車には砲撃を加えるとともに、さらに近づいてくる戦車には爆弾を抱えた日本兵が突っ込み戦車もろとも自爆しました。
この日本軍の反撃により、5月末までにアメリカ軍の戦車の57%が破壊されました。

この時期のアメリカは、気温が30℃近くまで上がり衛生状態の悪い戦場では、かすり傷でも負えば、即座にハエがたかりウジが湧きます。
5月に入るとアメリカ軍は全ての洞窟をしらみつぶしに破壊する作戦に出ました。
首里攻防戦では兵隊も住民も死ぬまで戦うか、生き埋めになっていきました。
日本軍は首里での戦いでおよそ6万4000人が戦死しました。アメリカ軍も被害が続出します。
神経を病む「戦闘恐怖症」が続出しました。
アメリカの死者、負傷者は約5000人にのぼり、墓穴をブルドーザーで掘らなければいけないほどでした。

5月29日にアメリカに日本軍司令部がある首里を占領され、これで沖縄戦は終わったとアメリカ兵の誰もが思いました。
しかし、第32軍は残りの3万となった兵士と共に南部へ逃れたあとでした。
アメリカ軍によって日本兵や住民に対して、800万枚の投降勧告ビラが上空からばらまかれました。
投降勧告に応じない者には容赦なく手榴弾や爆弾を投げ込んでいきました。

6月18日にはアメリカのバックナー将軍が日本の砲撃を受けて死亡します。
それに怒ったアメリカ軍は投降してきた無抵抗の住民も殺しました。
6月23日日本軍の牛島司令官が自決。アメリカ軍は勝利宣言をしました。
しかし「最後の1兵まで戦え」と言い残して死んだ牛島司令官の言葉によって、各地で敗残兵は戦い続け終戦を迎えるまで終わりませんでした。

今の時代では想像もできないような出来事が起きていた戦争。
まだ終戦してから100年もたっていません。
何の罪のない人が殺され、食料も満足になく、家族と離れ生活しなければいけない生活。
明日生きられるかもわからない。そんな生活が日本で起きていたのは紛れもない事実です。その事実を知るということはとても大切です。
過去に戦争が起きたからこそ、今戦争をしてはいけないとわかることができると思います。
だから歴史の勉強はとても大切なのではないでしょうか。
日本が過去に他の国にしたこと、されたことで今も解決できていない問題もあると思います。
過去の行いによって現在に行かされていることもたくさんあると思います。

沖縄といえば青い海と空、白い砂浜といった観光地というイメージの人も多いと思います。
もちろん間違っていないと思いますし、それは事実だと思います。
その背景には、多くの人が犠牲になったことを忘れないでほしいと思います。
もし、沖縄に行ったら是非訪れてほしい場所があるので紹介します。

1つめは「旧海軍司令部壕」です。
日本で唯一、住民を巻き込んだ地上戦が行われた沖縄戦の日本海軍沖縄方面根拠地隊司令部があった場所です。
その一部が現在公開されています。約4000人の兵士が壮絶な最後を遂げた壕内は、司令官室、作戦室などが当時のまま残され戦争の悲惨さ過酷さを訴え、平和を願う場となっています。
併設の資料館では壕内で発見された遺品や写真などが展示されているので、行ってもらいたい場所の1つです。

2つめは「ひめゆりの塔」です。
看護要員として戦場に動員され、亡くなっていった「ひめゆり学徒隊」の慰霊塔。
ひめゆり平和記念資料館には、ひめゆり学徒隊の犠牲者の遺品や、ガス弾によって多くの犠牲者が出た伊原第三外科壕が実物大で再現されており、ひめゆり学徒隊について学べる場となっております。

3つめは「沖縄県営平和記念公園」。
この公園には写真や遺品を展示した「平和記念資料館」、沖縄戦で命を落とした全ての人の名前を刻んだ「平和の礎」、戦没者の鎮魂と平和を祈る「平和記念像」などさまざまなものが建立され、世界の平和を祈念しています。

今はコロナウイルスで世界中の人が大変な思いをしています。
戦争中のような爆弾が落ちてくることはありません。
生きたくても生きれなかった人たちが、過去にも現在にもいたことは間違いありません。
今を生きれることに感謝の気持ちを忘れず、どんなことにも一生懸命取り組むことが私たちができることではないでしょうか。
毎日ご飯を食べれること、勉強できること、友達と遊べることなど当たり前のことに感謝の気持ちを持って日々生活していくことがとても大切だと思います。
まだまだコロナウイルスで世界中が大変ですが今自分ができることを精一杯してみんなで乗り越えましょう!
one team!

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


関連記事一覧